やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

考えても文章が書けないので、殴り書きというものを

最近、文章が全然書けないなあと悩んでいる。理由はたくさんあって、明確なのもいくつかある。

ひとつは、「好きです!」と言われるのが怖いこと。

物心ついてからの悩みなんだけど、自分の想定以上の「好きです!」がとっても苦手。好きでもない人に告白されても全然うれしくないタイプの人間だし、グイグイ好意を持ってこられると裏に何かあるに違いないと距離を起きたくなる。だからこそ「あなたの文章がとっても好きなんです!」と言われてしまって、自分の文章から距離を起きたくなった。

「いや、贅沢言うなよ」って声とかもろもろ聞こえてきそうだけど、そういう声もそれなりにわかっているので黙っててほしい。そういう人間もいるんだし、わからないならほっといてほしいし、わかったとしても必要以上に同意してもらいたくもない。あまのじゃく?うん、知ってるから、何も言わないで。

でもこれは「わたし」に対してそうなのが居心地悪いのであって、「わたしのプロダクト」に対してならとってもうれしいという気持ち(――多くの人にはよくわからない感覚なんだろうけど)。だからこれからは「わたし」じゃなくて「わたしのプロダクト」を育てていこうと決心しました。気付いたらサーバー設定もされていたので、こちらはコツコツ育てていきます。時期が来たら表に出しますので、しばしお待ちを。これぞunder construction。

もうひとつは、「普通」がわからなくて悩んだこと。

大衆向けの記事は一般化されたしあわせな家族像などを描く必要があるんだけど、それを全然感覚として持っていないから「一般的なしあわせ像」に入れない自分に嫌気が差して「あーもうやだー」となりました。

例えばこの前のインタビューで、

Q:ご家族と離れてるけどメールする……ってどんなメールですか?
A:そうですね、普通のメールです。お友達とも普通にメールしますよね、今のテレビ見た?とかって。そんな感じです。

と言われたんだけど、いやわたし友達と今見てるテレビについてメールしたことなんてないわ、でもそれが普通なんですか?あーもうそういうの全然わからん!と割とパニックになりました。

ほかにも週末は友達とランチに行って、とか結婚式にたくさんの友人に囲まれてとか、家族旅行とか。全部したことない。したことない自分も嫌いだけど、したくないって思ってしまっている。「別に学校行かなくても他で学べればよくない?」と思っているわたしが、不登校の子を学校に行かせるtipsとか書くのもおかしい。

だからそういう「一般的なしあわせ」について書くのは、クライアントのためにもわたしのためにもならないからやめようって思いました。

 

そんな感じで、久しぶりにテキストサイトをやっていたころに書いていた文体で文章を書いたらすこぶる楽しかった。

note.mu

たまにはこんなふうに自分が喜ぶ文章を書いても、いいんだなって。別に(仕事の締め切りさえ守れば)だれにも迷惑かからないしね。

30歳になって、ようやく自分の輪郭がうっすら見えてきた気がします。noteに書いたひなちゃんは、物心ついたころからわかってるもんだよ?って言ってたけどね。わからない人間もいるのだ。自分ができることができない人は、案外いるんだよ。あ、これはわたし自身への伝言でもあるんだけども。