【お知らせ】KOIKINAをはじめました
小さくWebサイトを立ち上げました。名前は「KOIKINA」といいます。「こいきな」と発音します。
年明けくらいから立ち上げたいと思っていて、4月半ばにサーバーを立ててもらって、ようやく始動したのが7月です。亀ですね。スピード感が求められるこのWebの世界では、恐ろしいくらいに遅いと自覚しています。更新スピードはここまで遅くはならないとは思いますが、じゃんじゃん記事上げて……という感じにはならない予定です。だからこそていねいに、作っていけたらと思います。
KOIKINAは「こいきなギフトを伝えたい」と謳っています。つまりはギフトを紹介する場所です。お値段も気持ちも重くならない、けれどこだわりのあるギフトを取り上げていきます。ゆくゆくは作り手さんへインタビューなども掲載できたらと考えています。
どうしてKOIKINAをはじめたのか、というと理由は2つあります。
ひとつはわたしがちょっとしたギフトを選ぶのが好きだからということ。それと同時に、贈り物をもらうのが苦手だということ。だからこそもらった側もそんなに困らない、定番とはちょっとだけ違う、でももらうとうれしいものを紹介できるんじゃないかなと思いました。
もうひとつは、自分の視点で文章を書きたかったから。エゴですかね、そうかもしれません。それでも、ここが素敵なプロダクトとの出会いの場となって「この商品いいね」と誰かがお気に入りを発見したり、心が踊ったりしたらいいなあと思うのです。割と真剣にそう思っています。
ということで、サイトはこちらからご覧くださいませ。
なお、引き続きライターのお仕事は続けていく予定です。合わせてお仕事のご相談などもありましたらご連絡いただけるとうれしいです。よろしくお願いいたします。
昨日の日記
お世話になっているOMIYA!のメンバーの集まりに行ってきました。OMIYAメンバーは全国各地にいて、なのに関東に住むメンバーは少ないのです。その関東住みメンバーや編集部のみなさんが集まりました。
久しぶりだったり初めましてだったりのメンバーでまずはごはん。がっつりお肉。合鴨のロースト。とってもジューシーでおいしかった!
写真無加工でこの照り……ジューシーさ伝われ!
そのあとは写真講習会。
写真講習会なのにカメラを忘れたわたしは、お絵かきとガヤ芸人してました。あえて少し違う角度から話を切り込んでみたり、議論を巻き起こしてみたりしました。(すみません。)
「こういうお菓子どうしたらいい?」とか「わたしならこうする」とみんなで話しながら写真を撮るのは、いつもひとりでおみやげと向き合うわたしたちには新鮮な感覚です。
みんなで撮った写真を見せ合う様子。
編集長でカメラと仲良しな嶋田さんに遠くからズームして撮る技などを教えてもらいました! わたしもカメラと仲良くなるぞ!(忘れてきたけど。)
みなさんありがとうございましたー!
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すごく余談なのですが、こちらはさくらさんが持ってきたおみやげ。こういう作り手さんからのメッセージが大好きなので、こういうの書く人になりたい。
朝日を見ながら思うこと
朝日を見るたび、早起きっていいなと思うのに朝起きるのが苦手なのはどうしてだろう。ワールドカップの代表戦を見終えて、カーテンの向こうの日差しを浴びながらそんなことをぼんやり考えていた。2018年7月3日の朝焼け。東京は晴れ。今日も猛暑日になるらしい。
眠れない。サッカー、とっても悔しかった。アディショナルタイムでの失点。試合終了後に全然整っていない長谷部先輩をはじめ、選手のみなさんの顔を見ていたら「悔しいよね、そうだよね、泣きたいよね」と誰目線かわからない共感をしていた。原口選手はあまり感情が顔に出ない人なのかと勝手に思い込んでいたけど、泣きだしそうなその顔を見たらわたしも泣きたくなった。
すごく、ドタバタした大会だった。大会前から。でも未来に繋がるシーンもあったと思う。代表戦くらいしかまともに見ない人が何を言ってるんだと言われそうだけど、勝手ながらそう思った。正直に言うと、とてもエキサイティングだった。エンタメみたいに言うなって感じだけど、なんていうか、サッカー好きだなやっぱりってそう思った。そんな大会だった。ワールドカップ自体は続くから、まだまだ眠れない夜は続くのかもしれない。
毎日は進む。負けても勝っても寝不足でも、天変地異や事故がなければ明日は嫌でもやってくる。ロシアで戦った彼らにも、日本でフリーランスのわたしにも。
眠れないからとメモ帳に思いを書き留めていたら、なんだか収拾がつかなくなってきた。カーテンの向こうで太陽も元気に照りはじめている。もうすぐ6時だけど、少し目を閉じよう。監督や選手のみなさんのようすは、きっとやべっちFCが丁寧に伝えてくれるはずだから。まずはおつかれさまでした。胸張って帰ってきてください。
公式以外は信じない
自分が見聞きしたことで判断しようと、初めて自発的に思ったのは中3の秋だった。普段から男女の仲が悪かったクラスだったけど、それに拍車がかかったとき。噂だけで形成される雰囲気が気持ち悪くて、たまたま男子に「本当のところどうなのよ?」って話をしたら、真実は二転三転して噂に化けるのだと腑に落ちた。
噂は噂、そうわかっていても、わたしはそのあと何度も噂に転がされていた。もちろん今もそうなのかもしれない。
でも最近、もう公式以外信じなくていいんじゃないかと一層思うようになった。2018年上期の感想はそんなところ。
SMAPのときもそう思っていた。どんなにワイドショーが騒いでも、公式は中居さんだと思っていたし、2016年の大晦日のラジオがきっとそれだった。だからどんなに周りが何と言おうとも、それでいいとわたしは納得している。
2018年4月15日に、渋谷すばるさんが関ジャニ∞を辞めると会見をしたときもそうだった。あの記者会見以上の真実を、メンバー以外の誰が語ることができるんだろう。どんなコメンテーターの話も、どうでもよく思えた。
そりゃもちろん、ジャーナリズムとしての報道は事実を知る上で必要だけど、それを見た(大してその対象に詳しくない)人の意見をすべて受け入れられるほどわたしの容量は大きくない。真実はいつだってひとつだけど、正義は人の数ある。外野は所詮外野なのだ。同じテレビの中の人であっても、ただワイドショーで情報を見聞きしている視聴者と変わらないことも多い。
ときには公式が嘘をつくこともある。それを信じるかどうするかは、また別の話。それに、「信じる君がついた嘘なら、そっと心にしまうよ」と歌う人を、わたしは知っているから。信じるかどうかは自分次第なんだろう。
噂に転がされてしまうのは噂に触れる回数が多いからだと、振り返って思う。学校とか会社とか、そういう世界から離れて噂に触れる回数が減ったわたしが思うのは、結局何を信じるかは自分次第で、ワイドショーのコメンテーターの話を気にすることはない。そんなところ。
2018年上半期のことを振り返っていたら、こんな話になっていた。下半期はもう少し自分と向き合いながら仕事をしたいです。
増える髪の毛と美容院
半年ぶりに美容院に行ってきた。
勢いで7センチくらい切ってしまったので、想定より短くなった髪の毛。髪の量も減った。わたしの髪の毛は増えるワカメみたいにどんどん増えるから、いつも減らしてもらう。おかげでドライヤーの時間も短縮された。
ズボラなわたしは、髪を切りに行くのが本当に面倒だと思ってしまう。ロングヘアになってからは髪をおだんごにすれば全然気にならないので、美容院に行く頻度が半年に1度ペースになってしまった。(プリンが面倒なのでもう髪を染めたくもない。黒髪に戻りたい〜〜!)
3ヶ月に1回12000円も払うのもな、と値段も美容院から足が遠のく理由のひとつ。とはいえ、美容院の値段が人件費とかいろいろでそれでも安いことは理解している。じゃあなんでこんなに美容院にお金払いたくないんだろう?って考えたら、知らない人と無理に会話したりするのが億劫だからという結論に至った。やや苦痛だと思うことに払うには大きい額なんだなと自覚したのは、美容院の帰り道のこと。
適度にいい距離感で、ズボラなわたしにもやさしい美容師さんに出会いたいなあ。継続的に通いたい……。(前によくしてくれた美容師さんもいたけど、引っ越してしまったのよね。物理的な距離を超えられなかった。)
文字という記号と、思いの乖離
他の人にはかんたんにできることが、上手にできない子どもだった。「なんでこんなに普通のことができないの?」と言われることが多かったから、割と劣等感に苛まれて生きている。
だから、わたしにできて他の人にできないことがあると知ると、昔はよく驚いていた。「なんでできないの?」って。
だけども、このときわたしが思っている「なんでできないの?」に込められた気持ちは『なんでできないの?(わたしのような下等な人間にできることが、あなたみたいな有能な人にできないわけがないのに)』であって、決して相手をバカにしようなんて思っていなかった。もちろん、そんなことは相手に伝わるわけないから、きっといろんな人を傷つけてきたんだと思う。ごめんなさい。
話は変わって、昔テレビの心理テストで「すっごく幸せなときにどう思いますか?A:幸せな時間を楽しもう。B:こんな幸せいつまで続くんだろう。さあどっち?」のようなものがあった。答えとしてはAを選ぶとポジティブ思考、Bを選ぶとネガティブ思考、というもの。これにSMAPの中居さんが「B」と答えていてスタジオが驚いているシーンがあった。でも中居さんとしては『こんな幸せいつまで続くんだろう(ずっと続けばいいのに)』という意味合いで選択したらしい。同じ言葉でも、出題者の意図と中居さんのそれは少し違ったようだ。
言葉にはいろんな思いを乗せることができるけど、全然万能なんかじゃない。文章はただの文字列だし、文字は記号。単なる記号に感情は乗せられないから、ときに文章は不用意にだれかを傷つける。
そんなことを考えながら、「けんかするほどの感情をメールの文字だけで表すことはできないと思う」というようなことを、とあるギタリストが言っていたなあと思い出していた。言葉を仕事にする作詞家でもある彼が言っていたのだ。
何が言いたいのかというと、文章を書くときには細心の注意を払わないといけないなあと思う一方で、いつだって誤解をはらんでしまうことを自覚していないといけないとも思っている。そんなことを、最近感じている。