やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

公式以外は信じない

自分が見聞きしたことで判断しようと、初めて自発的に思ったのは中3の秋だった。普段から男女の仲が悪かったクラスだったけど、それに拍車がかかったとき。噂だけで形成される雰囲気が気持ち悪くて、たまたま男子に「本当のところどうなのよ?」って話をしたら、真実は二転三転して噂に化けるのだと腑に落ちた。

噂は噂、そうわかっていても、わたしはそのあと何度も噂に転がされていた。もちろん今もそうなのかもしれない。

でも最近、もう公式以外信じなくていいんじゃないかと一層思うようになった。2018年上期の感想はそんなところ。

SMAPのときもそう思っていた。どんなにワイドショーが騒いでも、公式は中居さんだと思っていたし、2016年の大晦日のラジオがきっとそれだった。だからどんなに周りが何と言おうとも、それでいいとわたしは納得している。

2018年4月15日に、渋谷すばるさんが関ジャニ∞を辞めると会見をしたときもそうだった。あの記者会見以上の真実を、メンバー以外の誰が語ることができるんだろう。どんなコメンテーターの話も、どうでもよく思えた。

そりゃもちろん、ジャーナリズムとしての報道は事実を知る上で必要だけど、それを見た(大してその対象に詳しくない)人の意見をすべて受け入れられるほどわたしの容量は大きくない。真実はいつだってひとつだけど、正義は人の数ある。外野は所詮外野なのだ。同じテレビの中の人であっても、ただワイドショーで情報を見聞きしている視聴者と変わらないことも多い。

ときには公式が嘘をつくこともある。それを信じるかどうするかは、また別の話。それに、「信じる君がついた嘘なら、そっと心にしまうよ」と歌う人を、わたしは知っているから。信じるかどうかは自分次第なんだろう。

噂に転がされてしまうのは噂に触れる回数が多いからだと、振り返って思う。学校とか会社とか、そういう世界から離れて噂に触れる回数が減ったわたしが思うのは、結局何を信じるかは自分次第で、ワイドショーのコメンテーターの話を気にすることはない。そんなところ。

2018年上半期のことを振り返っていたら、こんな話になっていた。下半期はもう少し自分と向き合いながら仕事をしたいです。