やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

音に乗せる物語 - 『蜜蜂と遠雷』感想文 -

中学のころ、不思議な体験をした。

吹奏楽部だったわたしが毎日毎日練習をしていたある日のこと。第2音楽室のベランダから田んぼに向かって個人練習をしていると、隣で吹いている友人のユイちゃんの音がおかしい。吹いている曲はいつもと同じなのに、音が、なんというか、滲んでいる。一緒に練習していたエリカと思わず顔を合わせてしまったとき、確信した。

「ねえ、ユイちゃん。何か悲しいことあった?」

そう尋ねた先の答えは忘れてしまったけれど、確かに彼女には悲しい出来事があって「普段通りを装っていたのに」なんてことを言っていた。

音には、感情が乗っかるんだ。どんなに見た目を取り繕っても、音には生身の表情が映ってしまうらしい。この時わたしはそれを確信した。14の秋のことだった。

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蜜蜂と遠雷』の舞台はピアノの国際コンクールなので田舎の中学生の部活とはレベルが違いすぎるけれど、音には目に見えない感情や思いや個性が乗るんだと、本を読んで思い出していた。この本の中に広がっていたのは、音に乗った感情や思いや個性が、文字で表現されている世界。

物語は登場人物の数だけでなく、演奏される曲についても語られている。人と人、人と曲、曲と曲、それぞれの物語が交差してドラマが織りなされていくようすを目撃するたびに、その人、その曲にじわりと、時に強く、感情を動かされた。

わたしはクラシック音楽に明るくはないし、この本に出てくる楽曲のほとんどは思い浮かばない。それでも、曲の持つ世界観に引き込まれていた。曲を聞いているときや弾いているときの気持ちの描写でここまで音楽を表現できるなんてと驚くけれど、確かに音楽が聞こえているようだった。さらに言うと「あの人に抱いているイメージが合っているのか」とか「あのときのセリフの意図を確かめたい」とか、実際の曲を聞いて答え合わせをしたいと思っている。

「何度も読み直したくなる」の枕詞を持つ本はたくさんあるけれど、この本はその逆で「その先を描きたくなる本」。この本の先にある物語を、もっと読みたい。主人公たちの人生を追いかけたい。読み終えて回想しながら、そんなことを思った。物語の先をこれほどにだれかと話したくなる小説は、今までなかったんじゃないかな。それでも読後感はとても爽やかで、広い原っぱへ駆け出したい衝動にもかられている。

とても充実した読書時間だった。だれも殺されないし、だれかの命の危険を感じることもない。読み進めるたびにワクワクして、ふわりとあたたかい気持ちになれて、自分も前に進みたいとやわらかく、だけども強く思える物語。

今のわたしが楽器を演奏したら、どんな言葉が紡がれるのだろう。久しぶりに楽器を触りたいな。