やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

増える髪の毛と美容院

半年ぶりに美容院に行ってきた。

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勢いで7センチくらい切ってしまったので、想定より短くなった髪の毛。髪の量も減った。わたしの髪の毛は増えるワカメみたいにどんどん増えるから、いつも減らしてもらう。おかげでドライヤーの時間も短縮された。

ズボラなわたしは、髪を切りに行くのが本当に面倒だと思ってしまう。ロングヘアになってからは髪をおだんごにすれば全然気にならないので、美容院に行く頻度が半年に1度ペースになってしまった。(プリンが面倒なのでもう髪を染めたくもない。黒髪に戻りたい〜〜!)

3ヶ月に1回12000円も払うのもな、と値段も美容院から足が遠のく理由のひとつ。とはいえ、美容院の値段が人件費とかいろいろでそれでも安いことは理解している。じゃあなんでこんなに美容院にお金払いたくないんだろう?って考えたら、知らない人と無理に会話したりするのが億劫だからという結論に至った。やや苦痛だと思うことに払うには大きい額なんだなと自覚したのは、美容院の帰り道のこと。

適度にいい距離感で、ズボラなわたしにもやさしい美容師さんに出会いたいなあ。継続的に通いたい……。(前によくしてくれた美容師さんもいたけど、引っ越してしまったのよね。物理的な距離を超えられなかった。)

文字という記号と、思いの乖離

他の人にはかんたんにできることが、上手にできない子どもだった。「なんでこんなに普通のことができないの?」と言われることが多かったから、割と劣等感に苛まれて生きている。

だから、わたしにできて他の人にできないことがあると知ると、昔はよく驚いていた。「なんでできないの?」って。

だけども、このときわたしが思っている「なんでできないの?」に込められた気持ちは『なんでできないの?(わたしのような下等な人間にできることが、あなたみたいな有能な人にできないわけがないのに)』であって、決して相手をバカにしようなんて思っていなかった。もちろん、そんなことは相手に伝わるわけないから、きっといろんな人を傷つけてきたんだと思う。ごめんなさい。

話は変わって、昔テレビの心理テストで「すっごく幸せなときにどう思いますか?A:幸せな時間を楽しもう。B:こんな幸せいつまで続くんだろう。さあどっち?」のようなものがあった。答えとしてはAを選ぶとポジティブ思考、Bを選ぶとネガティブ思考、というもの。これにSMAPの中居さんが「B」と答えていてスタジオが驚いているシーンがあった。でも中居さんとしては『こんな幸せいつまで続くんだろう(ずっと続けばいいのに)』という意味合いで選択したらしい。同じ言葉でも、出題者の意図と中居さんのそれは少し違ったようだ。

言葉にはいろんな思いを乗せることができるけど、全然万能なんかじゃない。文章はただの文字列だし、文字は記号。単なる記号に感情は乗せられないから、ときに文章は不用意にだれかを傷つける。

そんなことを考えながら、「けんかするほどの感情をメールの文字だけで表すことはできないと思う」というようなことを、とあるギタリストが言っていたなあと思い出していた。言葉を仕事にする作詞家でもある彼が言っていたのだ。

何が言いたいのかというと、文章を書くときには細心の注意を払わないといけないなあと思う一方で、いつだって誤解をはらんでしまうことを自覚していないといけないとも思っている。そんなことを、最近感じている。

嫌いな彼女が好きなもの

エルレガーデンが復活すると、わたしのタイムラインでもお祭り騒ぎだった。一方でわたしはエルレガーデンを通らずに大人になってしまったので、いまいちその波に乗れずにいる。

大学のころにエルレガーデンのことが大好きなクラスメイトがいた。彼女はロッキンジャパンなどのフェスに全日程参加していたし、おそらく熱心なロックファンだったんだろう。そんな彼女とは家も近所だったから、仲もそこそこよかった。でも最終的に大学卒業を目前にしたころ、就活もろもろでわたしは彼女の嫉妬の対象となり割とひどいことをたくさん言われた。できることなら彼女には二度と会いたくないし、生きているかどうかも知りたくない。そんなこともあって、わたしは彼女が大好きだったエルレガーデンも好きではない。

時は流れて2018年。先週、いつものようにラジオを聞いていたら「なんか聞いたことあるけど、なんの曲だっけ?あれ?すごく素敵な曲じゃない?」と思う音楽に何度も出会った。その後の曲紹介で、それらがエルレガーデンの曲だと知る。復活を機にたくさんラジオで曲がかかっていた。ああ、なんでわたしはエルレガーデンを通らずに生きてきたんだろうなあ。あの彼女が原因でエルレガーデンを嫌っていただけで、エルレガーデンにはなんの罪もなかったのに。

 

前に「タレントの顔に泥を塗るようなファンは最低だ」と誰かが言っていたけど、こんなふうに間接的に好きな人の顔に泥を塗ってしまうことがあるんだなと学んだ。

わたしは、わたしの大好きな人たちの顔に泥を塗っていないだろうか。そんなことを思いながら、昔その彼女に借りてインポートしたままだったエルレガーデンのベストアルバムをiPodで聞いていた週末。

頭をよぎる歌詞が結論

宇多田ヒカルさんの曲が好きだ。どの曲も好きだけど、最近よくこの2つのフレーズが頭をよぎる。

痛めつけなくても
この身はいつか滅びるものだから
甘えてなんぼ
-『This Is Love』より

 

山は登ったら降りるものよ
-『Show Me Love (Not A Dream)』より

前者は、最近よく「死んだら何も残らない」と考えているので、その結論としてこのフレーズが頭に思い浮かぶ。自分が思っているよりも甘えてもいいのかもしれない。

後者は「いっしょに高みを目指そう」とか、営業成績を「山で言うと七合目くらいですかね」とか言っているのを聞くと思う。山は登るときよりも下りるときのほうが大変だし、山は登り続けるものではないだろうにとよく思う。トップを目指す人はわかってるのかなあ。

あ、この話には結論やゴールは特にありません。

数字より大切なもの

センター試験が苦手だったなあと思いだした。公式に当てはめて問題を解くことはまだできても、本質じゃないテクニックで攻略しようとする姿勢が性に合わない。

だから「ああ、テクニックでなんとかしようとしてるなあ」と透けて見えてしまった途端急に嫌になってしまう。そんなことが、よくある。テクニックがよくないとかっていう話ではない。本質じゃないテクニックが好きじゃない。あるいは、そこから見てとれるいやらしさが好きじゃない。本質じゃない数字では満足できない。

数字よりも大事なものがある。無理して笑うには理由がなさすぎる*1

*1:嵐『言葉より大切なもの』より

うれしいことがないと死にたくなる

定期的にうれしいことがないと、気持ちが死ぬということに気づきました。

連休明けの今日は朝からはっきりしない天気で、仕事も溜まっていてとにかく憂鬱でした。生きていることがつらい。本当にそんな感じ。そんなことを家族に話しても困らせてしまうだけで、とにかく頭を使わなくてもできる仕事から手を付けていました。

連休中に準備していたメッセージを送信して……とコピーアンドペーストを繰り返していたら返信が届いていたことに気付きます。書き終えた記事をとにかく褒めてくれるメールだったので、うれしくなって不思議と「消えてなくなりたい願望」が薄れていきました。

完全になくなったわけでもないけど、こんなふうにちょっとずつうれしいことを繋いでいけば、なんとか毎日生きてはいけるのかもしれない。

わたしは何があったら喜ぶんだろう。わからないまま終わるのは嫌だって、そういえばアンパンマンも歌っていたなあ。

許して、オフライン

連休なので自炊をさぼりまくっていた。どちらかというと毎日献立を考えることが苦手なので、わたしじゃない誰かに食べるものを決めてもらったり、気分のまま食べたいものを選べたり、誰かが作ってくれるものを食べるだけだったり、甘えさせてもらってありがたい限りです。

それで今日久しぶりにキッチンに立って思ったのは、わたし料理する時間は嫌いじゃないということ。仕事が仕事なので基本オンライン。ツイッターとかしているとオフラインの時間がとっても短くなってしまう。メッセージもメールもすぐに返信しなきゃ! となんとなくいつもオンラインでいなきゃと思ってしまうのは、病気なのかもしれない。

でも料理しているとオフラインでも許される気がするので安心します。今日がまさにそれだった。(ちなみに餃子包んでました。)

オフラインの時間、大事。