やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

文字という記号と、思いの乖離

他の人にはかんたんにできることが、上手にできない子どもだった。「なんでこんなに普通のことができないの?」と言われることが多かったから、割と劣等感に苛まれて生きている。

だから、わたしにできて他の人にできないことがあると知ると、昔はよく驚いていた。「なんでできないの?」って。

だけども、このときわたしが思っている「なんでできないの?」に込められた気持ちは『なんでできないの?(わたしのような下等な人間にできることが、あなたみたいな有能な人にできないわけがないのに)』であって、決して相手をバカにしようなんて思っていなかった。もちろん、そんなことは相手に伝わるわけないから、きっといろんな人を傷つけてきたんだと思う。ごめんなさい。

話は変わって、昔テレビの心理テストで「すっごく幸せなときにどう思いますか?A:幸せな時間を楽しもう。B:こんな幸せいつまで続くんだろう。さあどっち?」のようなものがあった。答えとしてはAを選ぶとポジティブ思考、Bを選ぶとネガティブ思考、というもの。これにSMAPの中居さんが「B」と答えていてスタジオが驚いているシーンがあった。でも中居さんとしては『こんな幸せいつまで続くんだろう(ずっと続けばいいのに)』という意味合いで選択したらしい。同じ言葉でも、出題者の意図と中居さんのそれは少し違ったようだ。

言葉にはいろんな思いを乗せることができるけど、全然万能なんかじゃない。文章はただの文字列だし、文字は記号。単なる記号に感情は乗せられないから、ときに文章は不用意にだれかを傷つける。

そんなことを考えながら、「けんかするほどの感情をメールの文字だけで表すことはできないと思う」というようなことを、とあるギタリストが言っていたなあと思い出していた。言葉を仕事にする作詞家でもある彼が言っていたのだ。

何が言いたいのかというと、文章を書くときには細心の注意を払わないといけないなあと思う一方で、いつだって誤解をはらんでしまうことを自覚していないといけないとも思っている。そんなことを、最近感じている。