やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

東京にも暮らしはある。それと友達も。

世田谷ボロ市の後、友達と三軒茶屋でごはんを食べた。彼女は生まれてからずっと三軒茶屋あたりに住んでいる。だから子どものころの世田谷線沿いの話を教えてもらった。

キャロットタワーができたのが、割と最近なこと。(と言っても20年くらい前。)世田谷線三軒茶屋駅はもっと西太子堂駅の近くだったこと。松陰神社前の押し寿司がおいしいこと。松陰神社前がこんなに賑わうとは思っていなかったこと。

今の姿しか見えていなかったわたしにとって、これまで住んできた人の視点はとても興味深い。あそこにこれがあったのよ。それできたの最近だよ。そんなふうに教えてくれる人に、そういえば東京ではあまり出会わなかった。(わたしが避けていただけなのかもしれないけど。)東京にも「ずっとこの辺に住んでいる」という人はいるんだよなあと気付かされる。

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話は変わって。

友達の少ないわたしにとって十年来の友人はさらに珍しい存在だ。まさに彼女がそれで、東京に鳥貴族がまだ2店舗くらいしか無いときから仲良くしてもらっている。そんなわたしたちも、気付けば30歳。話題も学校の話から会社の話になって、今では家族について話すようになった。会う頻度が年に一度のときもあるけど、昨日も会っていたくらいの温度感で話せるから居心地もいい。もともと属していたコミュニティが全然違う友達だから、環境が変わっても友達でいれるのかもしれないね。とってもありがたい。

そんなことも噛み締めながら、ひとりの帰り道を歩いた。空にはいくつかの星。東京だって、星は見えるよ。