やわらかいまいにち

思い出すのも難しい、ありふれた日常

嫌いな彼女が好きなもの

エルレガーデンが復活すると、わたしのタイムラインでもお祭り騒ぎだった。一方でわたしはエルレガーデンを通らずに大人になってしまったので、いまいちその波に乗れずにいる。

大学のころにエルレガーデンのことが大好きなクラスメイトがいた。彼女はロッキンジャパンなどのフェスに全日程参加していたし、おそらく熱心なロックファンだったんだろう。そんな彼女とは家も近所だったから、仲もそこそこよかった。でも最終的に大学卒業を目前にしたころ、就活もろもろでわたしは彼女の嫉妬の対象となり割とひどいことをたくさん言われた。できることなら彼女には二度と会いたくないし、生きているかどうかも知りたくない。そんなこともあって、わたしは彼女が大好きだったエルレガーデンも好きではない。

時は流れて2018年。先週、いつものようにラジオを聞いていたら「なんか聞いたことあるけど、なんの曲だっけ?あれ?すごく素敵な曲じゃない?」と思う音楽に何度も出会った。その後の曲紹介で、それらがエルレガーデンの曲だと知る。復活を機にたくさんラジオで曲がかかっていた。ああ、なんでわたしはエルレガーデンを通らずに生きてきたんだろうなあ。あの彼女が原因でエルレガーデンを嫌っていただけで、エルレガーデンにはなんの罪もなかったのに。

 

前に「タレントの顔に泥を塗るようなファンは最低だ」と誰かが言っていたけど、こんなふうに間接的に好きな人の顔に泥を塗ってしまうことがあるんだなと学んだ。

わたしは、わたしの大好きな人たちの顔に泥を塗っていないだろうか。そんなことを思いながら、昔その彼女に借りてインポートしたままだったエルレガーデンのベストアルバムをiPodで聞いていた週末。

頭をよぎる歌詞が結論

宇多田ヒカルさんの曲が好きだ。どの曲も好きだけど、最近よくこの2つのフレーズが頭をよぎる。

痛めつけなくても
この身はいつか滅びるものだから
甘えてなんぼ
-『This Is Love』より

 

山は登ったら降りるものよ
-『Show Me Love (Not A Dream)』より

前者は、最近よく「死んだら何も残らない」と考えているので、その結論としてこのフレーズが頭に思い浮かぶ。自分が思っているよりも甘えてもいいのかもしれない。

後者は「いっしょに高みを目指そう」とか、営業成績を「山で言うと七合目くらいですかね」とか言っているのを聞くと思う。山は登るときよりも下りるときのほうが大変だし、山は登り続けるものではないだろうにとよく思う。トップを目指す人はわかってるのかなあ。

あ、この話には結論やゴールは特にありません。

数字より大切なもの

センター試験が苦手だったなあと思いだした。公式に当てはめて問題を解くことはまだできても、本質じゃないテクニックで攻略しようとする姿勢が性に合わない。

だから「ああ、テクニックでなんとかしようとしてるなあ」と透けて見えてしまった途端急に嫌になってしまう。そんなことが、よくある。テクニックがよくないとかっていう話ではない。本質じゃないテクニックが好きじゃない。あるいは、そこから見てとれるいやらしさが好きじゃない。本質じゃない数字では満足できない。

数字よりも大事なものがある。無理して笑うには理由がなさすぎる*1

*1:嵐『言葉より大切なもの』より

うれしいことがないと死にたくなる

定期的にうれしいことがないと、気持ちが死ぬということに気づきました。

連休明けの今日は朝からはっきりしない天気で、仕事も溜まっていてとにかく憂鬱でした。生きていることがつらい。本当にそんな感じ。そんなことを家族に話しても困らせてしまうだけで、とにかく頭を使わなくてもできる仕事から手を付けていました。

連休中に準備していたメッセージを送信して……とコピーアンドペーストを繰り返していたら返信が届いていたことに気付きます。書き終えた記事をとにかく褒めてくれるメールだったので、うれしくなって不思議と「消えてなくなりたい願望」が薄れていきました。

完全になくなったわけでもないけど、こんなふうにちょっとずつうれしいことを繋いでいけば、なんとか毎日生きてはいけるのかもしれない。

わたしは何があったら喜ぶんだろう。わからないまま終わるのは嫌だって、そういえばアンパンマンも歌っていたなあ。

許して、オフライン

連休なので自炊をさぼりまくっていた。どちらかというと毎日献立を考えることが苦手なので、わたしじゃない誰かに食べるものを決めてもらったり、気分のまま食べたいものを選べたり、誰かが作ってくれるものを食べるだけだったり、甘えさせてもらってありがたい限りです。

それで今日久しぶりにキッチンに立って思ったのは、わたし料理する時間は嫌いじゃないということ。仕事が仕事なので基本オンライン。ツイッターとかしているとオフラインの時間がとっても短くなってしまう。メッセージもメールもすぐに返信しなきゃ! となんとなくいつもオンラインでいなきゃと思ってしまうのは、病気なのかもしれない。

でも料理しているとオフラインでも許される気がするので安心します。今日がまさにそれだった。(ちなみに餃子包んでました。)

オフラインの時間、大事。

カラオケが苦手

まだ大学に入ったばかりの、ちょうど今くらいの話。

サークルの新歓の三次会くらいでカラオケに行ったあと、同じクラスの女の子たちとマックで話すことになった。するとある子が「さっき全然歌うまくないくせにバンプ歌った男いたじゃん? 下手なのに車輪の唄なんか歌うなよって感じ」と言い出した。わたしはそれまでカラオケに行ったことがほとんどなかったから、そのときは『歌が下手な人はバンプを歌っちゃいけないようだ』と素直に学んでいた。

だけど、10年以上経った今なら言い返せる。カラオケなんだから好きな曲歌ったっていいじゃん?って。爽やかに言い返せる。

そりゃハイティーンの自己顕示欲とかはあるけれど、盛り上がりを考えた選曲をしなければならないのかもしれないけど、歌が下手だからっていうのがバンプ歌っちゃいけないって理由にはならないよなあ。(ちなみにそれを言った子は特別バンプが好きというわけではないらしい。そして自分は歌が上手いことが自慢らしい。)

だからカラオケって苦手。帰り道やお風呂で一人で歌ってたほうが楽しいのよ。好きに歌わせてちょうだい。

考えても文章が書けないので、殴り書きというものを

最近、文章が全然書けないなあと悩んでいる。理由はたくさんあって、明確なのもいくつかある。

ひとつは、「好きです!」と言われるのが怖いこと。

物心ついてからの悩みなんだけど、自分の想定以上の「好きです!」がとっても苦手。好きでもない人に告白されても全然うれしくないタイプの人間だし、グイグイ好意を持ってこられると裏に何かあるに違いないと距離を起きたくなる。だからこそ「あなたの文章がとっても好きなんです!」と言われてしまって、自分の文章から距離を起きたくなった。

「いや、贅沢言うなよ」って声とかもろもろ聞こえてきそうだけど、そういう声もそれなりにわかっているので黙っててほしい。そういう人間もいるんだし、わからないならほっといてほしいし、わかったとしても必要以上に同意してもらいたくもない。あまのじゃく?うん、知ってるから、何も言わないで。

でもこれは「わたし」に対してそうなのが居心地悪いのであって、「わたしのプロダクト」に対してならとってもうれしいという気持ち(――多くの人にはよくわからない感覚なんだろうけど)。だからこれからは「わたし」じゃなくて「わたしのプロダクト」を育てていこうと決心しました。気付いたらサーバー設定もされていたので、こちらはコツコツ育てていきます。時期が来たら表に出しますので、しばしお待ちを。これぞunder construction。

もうひとつは、「普通」がわからなくて悩んだこと。

大衆向けの記事は一般化されたしあわせな家族像などを描く必要があるんだけど、それを全然感覚として持っていないから「一般的なしあわせ像」に入れない自分に嫌気が差して「あーもうやだー」となりました。

例えばこの前のインタビューで、

Q:ご家族と離れてるけどメールする……ってどんなメールですか?
A:そうですね、普通のメールです。お友達とも普通にメールしますよね、今のテレビ見た?とかって。そんな感じです。

と言われたんだけど、いやわたし友達と今見てるテレビについてメールしたことなんてないわ、でもそれが普通なんですか?あーもうそういうの全然わからん!と割とパニックになりました。

ほかにも週末は友達とランチに行って、とか結婚式にたくさんの友人に囲まれてとか、家族旅行とか。全部したことない。したことない自分も嫌いだけど、したくないって思ってしまっている。「別に学校行かなくても他で学べればよくない?」と思っているわたしが、不登校の子を学校に行かせるtipsとか書くのもおかしい。

だからそういう「一般的なしあわせ」について書くのは、クライアントのためにもわたしのためにもならないからやめようって思いました。

 

そんな感じで、久しぶりにテキストサイトをやっていたころに書いていた文体で文章を書いたらすこぶる楽しかった。

note.mu

たまにはこんなふうに自分が喜ぶ文章を書いても、いいんだなって。別に(仕事の締め切りさえ守れば)だれにも迷惑かからないしね。

30歳になって、ようやく自分の輪郭がうっすら見えてきた気がします。noteに書いたひなちゃんは、物心ついたころからわかってるもんだよ?って言ってたけどね。わからない人間もいるのだ。自分ができることができない人は、案外いるんだよ。あ、これはわたし自身への伝言でもあるんだけども。